この国には「夢」と「好奇心」と「遊び」がつまっています。 この国で営み、商う人たちやこの国に来る人たちは各々が「好奇心」豊かな存在で、自らの「夢」を実現させようとしています。  「夢・好奇心・遊び」

            序     章
基本テーマを求めて

 この街に「テーマ」はあるのだろうか。
 これが最初にあった基本的な問いかけである。
 そしてこの問いかけに対し、「テーマ」を修飾する言葉は"活性化する"というのが本旨であるから、いわゆる『街を活性化するテーマ』なのだ。

 ここ何年来、この活性化テーマに取り組んだ軌跡はあるのだが、元来が街と言っても、個々の人間であり、個性の集まりだから、多くの人を包含するテーマが見えにくい日々を幾年か過ごしてきた気がする。

パズルランドとの出会い
 そんな時、IT化技術が一般大衆化し、技術が平易化するにつれ、サイバー上のホームページとして、このパズルランドという構想が浮かび上がって来たといえる。
 このパズルランドはIT化とそれを実現させた人の努力の結集によって下支えされたものではあるが、このサイバー上のフィールドが出来あがってしまうと、そこにはそこで暮らす(参加する)住人たちの実に個性的で人間的な生きざまや価値観、才能の発露が展開されることとなり、それは時空間を超えた交流も可能としている。
 結局一人一人が実にすばらしい「テーマ」の持ち主であり、よって冒頭の「テーマ」など探索せずとも個性を発信できるフィールドを造りさえすれば、テーマ性は実現しうるという意味で、このパズルランドはもう市民性を持ち始めているのかもしれない。

想定を超え始めた交流
 このパズルランドはそれでも立ちあがり当初に混乱しないよう基本的なコンセプトめいたものだけは決めたつもりである。
 それがトップページに記された「夢」「好奇心」「遊び」という言葉に表されている。

 今では、当初想定した以上の生きざまぶりがこのランドに関与する楽しさや面白さを演出してくれており、こうした参加率の向上が今後もこのページの充実度や活性度を高めて行くに違いないし、この参加こそがこのランドの生命線となることはもはや疑う余地のないところまで来ていそうだ。

今、原点回帰から始めたい
 そこで今、敢えて当初に記した「夢」「好奇心」「遊び」について語り始めてみたい。この言葉によって、立ちあがり当初、いったい何を考えていたのか。そして、何を実現したいのかが、おぼろげながらでも見えてくれば幸いである。    


            第1章・「夢」について

「夢のある街」
 この街を「夢のある街」にしたい。こんなありきたりな、されど愚直にそう思って「夢」をその一つに選んだ。
 しかしながら、夢のある街とは、『街』とか『場所』にその夢があるわけではなく、序章で記したように、そこに住むあるいは参画される『人々がもつこと』によって体現されるのが本旨ではないだろうか。
 正確にいうならば、「夢を持った人々が多く集う街」と言うことになる。

 確かに、夢を「感じる街」というのはあるかもしれない。街ではないのだが、デイズニーランドというテーマパークはその際たる場所で、そこに居て数々のアトラクションに乗ったりパレードを見ることで、夢のような世界を体感できるという演出が繰り広げられている。さしずめ「夢」を売るビジネスであり、こうした形の街作りもあるだろうが、別の形だってあるはずだ。
 もっと主体的に、自らの「夢を実現させる街」というのがあってもいい。

 互いの「夢」を認め合うこと
 その為には、まず「夢を持つこと」から始めなくてはならないが、あまり壮大に構えず、自分を表現する=自己実現することから始めればいいのではないだろうか。日常的なことに追いまわされ、振り回されながらも「こうしたい」とか「あのように成りたい」と思うことは誰にだってあるはずだ。
 「夢」は主体的であり、他と比較して大小を思ってもそれは個人の価値観に帰属するのであるからほとんど意味の無いことに等しい。
 個人にとっての「夢」は尊く、大切にされるべきものである。まずは、これを基盤にして、互いの夢に自信と誇りを持つことが担保されるような関係作りがあれば、「いい街」の第一歩が始まるのではないだろうか。

 「夢」と精神構造
 幸いにして、今このパズルランドに巣食う住人は互いを尊重し合えるという何事にも代えがたい貴重な財産をもっていると思える。
 個々人が主体的な「夢」をもつこと、そして互いがそれを尊重し協力しあえるということ。そんなことがとても大切なのだが、それだけで「夢」は実現してはいかない。
 「夢」をどのような気持ちでとらえているのか、言わば「夢をもつ精神構造」とでもいうような視点がもう一つ必要なのではないだろうか。       

 「夢」という言葉の意味
 貴方は「夢」という言葉に対してどのような意味やイメージを持っているだろうか?恐らくは、次ぎのいずれかに大別されないだろうか。
A.「夢」――儚い(はかない)もの。所詮、手のとどかないもの。
        叶(かな)わない願いの別表現。
B.『夢』――努力すれば、いつかは達成できるもの。駆り立てるもの。
        Dreams come true.
 表現をするTPOによって、微妙にこの意味合いの違いを使い分けているようにも思えるが、筆者の感ずる限り、大人に成るにしたがって自らの表現の意味合いも
B.からA.にトーンダウンさせてはいないだろうか。
 子供に「夢をもちなさい!」という時は、限りなくB.に近いはずである。
 我々でもその昔、目をキラキラ輝かせるような未来の「夢」があったのを覚えているだろうし、それを持ちつづけている人は居るに違いない。

 「夢の超特急」は現実となった
 かつて「夢の超特急」といわれ、今では基幹交通となった新幹線誕生秘話に触れこの章の結びに代えたい。
 大正時代、時の鉄道関係者で「弾丸列車構想」が持ちあがり、その特別委員長となった島安次郎という人物は多くの困難に遭遇する。そして戦時下を迎え、鉄道の軌道を広軌に出来ない情勢下にあっても決してあきらめることはなかった。「将来を嘱望しつつも、現状の改革を怠ることなかれ」と部下を叱咤激励し、かの有名なD51(デコイチ)蒸気機関車を完成させたのは、その安次郎の長男・島秀雄であった。
 そして、昭和39年10月東京オリンピックの開催に合わせるかのように、東海道新幹線は島秀雄とそれに携わった多くの人たちの努力により、構想50年余の時を経て見事に結実をする。
(詳述は小学館発刊・「新幹線をつくった男・島秀雄物語」)

 「出来る」と言うほうが簡単
 そして、島秀雄は後年、こうつぶやくのである。
 「『出来ない』と言うより、『出来る』と言う方がはるかに容易い。何故なら、『出来ない』という為には、何千何百とある方法論の全てを『出来ない』と証明しなければならない。しかし、『出来る』と言う為には、数々ある方法の中からたった一つだけ『出来る』と証明すればいいからである。」
 確かにそうではあるが、こうはなかなか言えないものである。
 こうした、国家レベルのプロジェクトならずとも各自が描き、努力する行き先は到達可能であることが多い。「夢」に対する精神構造も必要なのだろう。

 「夢を語り合える」場所にしたい。「いろんな夢が感じられる」場所であってほしい。そう願って、このパズルランドはスタートしている。


        第2章・「好奇心」について

 「新しき」を創り出す感情
 新しいものを創り出していくのには、いったい何が必要なのだろうか。
 「新しいもの」の中には、新商品・新サービスやニュービジネスによるベンチャーも含まれるだろうし、新しい人との出会いや新しい人間関係づくりも大切なことである。 21世紀という未知の時代に踏み出した今、昨日までとは全く違う何かにトライしてみたいという感情が、動き始めたのは時代の流れと無縁ではない。
 IT化という時代の流れの中で、いったい何が出来、何が生まれるのかという興味にも似た感情がその根底にはあったような気がする。

 「実現」を生み出す原点
 ベンチャービジネスというものにトライするなら、何が必要だろうか。
 数々あるだろうが、敢えて5つほど選択してみると
  1.卓越したアイデア  2.実現への構想力  3.初動資金
  4.タフな行動力     5.無類なき協力者

 どれもが必要不可欠であり、異論のないところであるが、もっと心の原点において思考や志向が初動し始める内面的な感情こそが、「好奇心」に立脚していると思える。
 興味を示さなければ、何も始めはしないし、始まりはしない。
 その方が無難で、リスクが少ないと思えるが、今の時代は立ち止まっていることこそが最大のリスクなのだと、環境の変化が教えてくれる。

 走りながら続けて行く
 「おもしろそうだな。」がその原点であり、「失敗したってかまわない。トライすることが重要だ。」と、少し青臭い考えの中でスタートをしてみる。
 危なっかしくて、『先の見通しは大丈夫か』と問われるが、『やってみなければわからない』という心の持ち方を支えに、今を走り出してみた。

 次ぎから次ぎへと涌き出るアイデアや各自の個性、そして幾つかの創造物の為に限りない好奇心とそこから生み出される「あくなき挑戦心」を保ち続けられるならそれで充分ではないだろうか。
 残された時間を嘆くより、そんな想いに費やす方がずっとおもしろいし、可能性に賭ける価値がある。そう思わずにはいられないのである。


          第3章・「遊び」について

 真面目でなければならないのか
 第1章では「夢」について語った。しかしながら、一般的にいって日本社会の中(特に組織文化に多いのだが)で、この「夢」は生真面目でシリアスでなければならないことが多い。ちょっとふざけて冗談や突拍子もないことを言おうもんなら『真面目ではない』とヒンシュクを買うというのはよくあるケースである。
 従って、むしろ「努力」「頑張る」あるいは「一生懸命」という事柄が日本的美意識に相応しく、優秀さの代名詞のように扱われるが、しかし、それは一方で非常なストレスを伴うのも事実である。

 「遊び心」を持つ組織文化
 アメリカにあるサンマイクロシステムズと言えばコンピューター業界でワークステーション分野の有名企業であるが、この会社の企業文化は「オープン」・「カジュアル」・「タブーがない」・「自由奔放」であり、こうした文化の定着に一役買っているのが大いなる「遊び心」や「いたずら心」である。
 エイプリルフールの出来事であるが、上記サンマイクロの共同創立者の一人であるスコット・マクネリCEOを驚かす為に、いたずらを思いついた従業員がゴルフ好きな彼のオフィスの壁を壊して、テイ―グランド・バンカー・噴水付きのパー4ゴルフコースを作ってしまったこともある。
 皆さんにもご経験のあるところだろうが、「遊び心」とは非常に自主的であり、「いたずら心」は有形無形の規則を破ることで発想を自由にして創造力を解き放つのに役だっているのである。
 (上記の事例はダイアモンド社「ベスト・プラクティス革命」に詳しい)

 時代に合った組織文化を求めて
 何も、真面目に仕事をするだけが結果としての効率や生産性を高めるものではない。「一生懸命」さえやれば必ず成功する環境は、かつての高度成長期のように右肩上がりの経済で進むべき方向が決まっている場合に限られている。
 「努力」する経験値の集積が生産性にプラスとして蓄積するからである。
 一方、「遊び」を楽しむ、「遊び」を取り込むことの出来る組織文化は何よりも面白くて、かつ創造性に富むものなのである。
 「遊び」をストレス発散という消極的活用だけでなく、むしろ自主・創造・挑戦という積極的活用に転用する発想が望ましいのである。

                                        
              終   章

 
感謝する「価値」を超えなければ
 この街は多くの先人達が、汗と涙とほとばしるような情熱をかけて創り、守り続けてきたものである。その軌跡はかけがえのないものであり、今があることを心から感謝することを決して忘れてはならない。
 「努力」や「ひたむきな一生懸命さ」は尊く、そして人間的な価値観であることを筆者は高く評価するものでもある。
 しかしながら、問題は、こうした価値観だけで世紀を超えた時代の流れという環境の変化には対応しきれない状況が、明らかになりつつあることを認識しなければならないことにある。

 成功体験は新しい成功体験を創りえない
 かつて成功した事例が、時の流れに適合せずに疲弊していくのは世の常であり、中心市街地や商店街もその例外ではない。何故なのだろうか。
 批判を恐れずに言うならば、成功体験が忘れられないからであり、経験の中で知識を得るという生物学的な学習能力があるからである。
 ゆえに、ひとつの時代に適合した組織は、その時代に最も適合した形態であるが為に、別の時代には適合しえないという必然をもつからといえる。

 進化による環境適合の普遍性
 ならば、異端なるものを受け入れ、ひと時の過去の知識や成功体験を学習しないというパラドックスが必要である。ひと時の過去の事例でなく、悠久の歴史にある真理にこそ、学ぶべきものはあると言えないだろうか。
 進化論を記したダーウィンは、普遍的な事実としてこう述べている。
 「環境の変化に適応できないものは、生き残れない」
 生物は、姿形(すがた・かたち)を変えることで環境の変化に適合し、進化することで、その『種』を存続させてきているのである。

 日常の変化、そして進化を支援するために
 IT化やグローバル化という時代のながれの中にあって、このパズルランドへの関与や参画で、皆さんの現実的な日常が変わり始めるならば、それは設計者の一人として望外の喜びでもある。
 そう想い、願い、祈りにも近い気持ちを抱きながら、このサイバースペースは日々進化し続けることを始めてみたのである。